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おひさしぶりです。レオ太ですw
うちにはヨークシャーテリアのレオがいます。
もうすぐ2才のおとこのコです。
2005年6月20日

うちへ来て9日目

うわwおとなしそうw
まだ遠慮気味な表情ですね。


2005年7月13日

はじめてのお散歩

初めて踏みしめる芝生。

うれしそうです。
笑っています。


2005年7月20日

お花とわたし♪

と、題してみた写真。

ベビーコートの黒い背中が
夏の日差しに熱くなるので
お洋服が欠かせませんでした。

満開の花にすっかりご満悦でした。


2005年10月27日

美容院の帰り

おリボンは大嫌いで
このあとすぐ自分で取りましたw


ここいらからのレオの写真は・・・あまりありません。

その当時は、私がちょうどブログを休んでいた・・・あの時期。
精神的に、相当・・・堕ちこんでいました。
まぁ・・・いろんなことがありました・・・この時期は。

レオのことに関して言えば・・・
まず、このコは立ち耳でなかった。矯正は結局しませんでした。
とにかく、体がどんどん大きくなる。もうね・・・体重なんて量りたくないくらいに。
どうみても、太りやすい体質。真夏でも散歩は欠かせない。

これはおかしい・・・そう気がついたのは、うちへ来て間もなくでした。
ペットショップでの説明では、大きさ的に標準だということでした。
しかし、私はこのコの手がおおきいのに気がついていました。
たぶん・・・おおきめになる。それはわかっていたことでした。

でもね・・・前にいたシーズーより体重が増えてしまったとき・・・
なんかすごくがっかりした。こんなはずじゃなかったって。

でもね。そんなこと言ってる場合じゃなかった。
レオは、なにも知らなくて生きている。いつもニコニコ笑ってる。

とにかく体質改善しなければ。
肥満体質は妊娠後期、生後1年間、思春期・・・この時期に形成される。
妊娠期はもう過ぎた。思春期になればダイエットフードもある。
生後1年・・・とりあえずここをなんとかしよう。

いろいろ調べて「手作り食」というものにチャレンジしてみました。
こんなサイトさまを、よく訪れていました。
獣医師 須崎の「ペットに手作り食」powered by ココログ
アイリスペットどっとコム/ワンコのおいしいレシピ

規定程度の量ではすぐおなかをすかせてしまうレオに、低カロリーでもおなかいっぱい食べて欲しい。
おなかをすかせて鳴いてばかりいたレオが、ひさしぶりに満腹で寝てる。幸せそう。

栄養面を考えてドライフードは規定の量。そこへ野菜や低カロリーのたんぱく質。
だしは「ペット用にぼし」これを手で裂く。気になるようなら頭や黒いはらわたは除く。
これを、一晩水にひたしてだしをとる。
そこへ季節の野菜、根菜を中心に。大根・人参・じゃがいも・キャベツ・白菜・・・
低カロリーのたんぱく質。ささみ・牛赤身・おから・・・
おだしが冷たいうちから投入。しっかりことこと煮こむ。

これね・・・記録とっておけばよかったな・・・って今になれば思えるけど、その頃はそんな余裕なかったの汗
とにかく必死で、日々淡々と作ってた。レオの、満腹で幸せそうな顔を見るだけでよかった。

ほんと・・・我ながら・・・がんばったw
レオの体にみるみる効果が表れたこともあって、いくらでもがんばれた。

そしていま・・・やはりダイエット用フードを食べてはいます。
おなかいっぱい食べています。あいかわらず笑っています。
おもちゃは、私の2キロの鉄アレイwwwふりまわすので危険ですwww
体重は5.5キロ程度でおちついています。とにかく健康体です。
わんぱくなのでおリボンなんて嫌い。毛の手入れもきらいなのでいつも短毛。

散歩にいけば、なんの種類ですか?って、いまでも聞かれています。
「さぁ、なんでしょうねw」って返します「たぶんヨーキーですw」って答えます。

2005年9月24日 軽井沢のドッグランにて

私の大好きな軽井沢で、初めてのドッグランであそんだときのワンシーン。

この時、2キロ程度の女のコのヨーキーを連れた女性と話をしました。
フルコートにおリボン、ふりふりのちいさなお洋服。よく見かけるいわゆる基準値のヨーキーでした。

「あら♪ヨーキー♪ほらお友達だよ。」彼女は、自分の犬にそう話しかけました。
「この犬なんですか?」と聞きなれてしまっていた私には、ちょっと新鮮な響きでした。

飼い主さんのそういう偏見のなさからでしょうか。そのコはしっぽをふってレオに近づいてきました。

その時、彼女から聞きました。ヨーキーは犬種としてまだ歴史が浅いので、先祖がえりすることがよくあると。

私は特になにも話してはいませんでしたが、自信みたいなのをすっかりなくしていました。
彼女は、そんな私を力づけてくれました・・・たぶん無意識のうちに。

これが、最近のレオwあまりに近くてなんだかわかりませんがw

うちに来た当初は、その毛色の美しさやこれから先の想像できうる気品高さから「レオ」さまと呼んでいたくらいですが
いまは、わんぱくででかいわんこの「レオ太」になりました。
気品なんてみじんもありません。ふりふりのお洋服なんて似合いませんw
でも、とにかく元気で、いつも明るいコです。

「レオ太ぁ〜〜〜!なにやってんだぁ〜〜〜!」私の怒鳴り声が響く日々。
いたずらばかりして怒られていますが、あいかわらずいつも笑って過ごしています。

まだ見たことがない友達もいるので、このコも紹介しておこうかな。

私の息子だったケント。2004年6月13日急逝しました。13歳でした。

このコは・・・どこか神経質だった。それは・・・私が神経質に育てたから。
食も細く、いろいろ手をつくして体重を維持していました。
毛の手入れが好き。おリボンが好き。写真が好き。太らない体質。
理想的な体型・毛質。どこへいってもうらやましがられたシーズー。自慢の息子でした。

レオとケントは、まったく違うように育っていきました。
どちらも、この私が育てたのに。

私は今、こう思っています。

犬は生きている。ひとりひとり違う。マニュアルなんてない。
基準値ってなに?生まれてくるコはモノじゃない。

ふたりとも、私の大事な家族です。
| 回想の記録(むかしばなし) | 16:51 | comments(6) | trackbacks(0) |
追憶
まずはじめに・・・

今回のエントリはとにかく長いです。。。
お時間とお気持ちの余裕があるかただけにでも読んでいただけましたら幸いです。

このサイトを開くにあたって、はじめにこう書きました。
いままで書いていなかった時期についてと
あとは、どうしても書いておかなくてはいけないこと。

それらは・・・
誰かに受け入れてもらう作業でもなく
誰かに認めてもらう作業でもなく
過去をただ感傷的に思い出す作業でもなく
生きてきた証なんてかっこいいものでもなく

ただただ事実をありのままにつぶやいてみたいだけ。
2006.05.17 なにから・・・より http://mistybluerose.jugem.jp/?eid=1

ブログを休んでいたあの時期・・・
なにか忘れものをしたような・・・そんな気がしてたまらなかった。

思いきって復帰し、何回か勇気を出して書いてみたものの・・・
どうも気が進まず、またそのままここまで来てしまった。

今年こそほんとうに書こう!と、手始めに、いちばん濃厚に思い出された出来事をちょっと書いてみた。
read more ? >>
| 回想の記録(むかしばなし) | 01:27 | - | trackbacks(0) |
憧れだったひと
さっき書いた「なすのにんにくみそいため」
あのメニューをこしらえてたのは、私が一時期とてもお世話になった人。
当時私は親元を離れており、持ち前の気力とどういうわけか転がり込んでくる運だけで、なんとかしていこうと・・・意地を目いっぱい張ってあがいていた。
そんな身元もはっきりしない私の、入院の費用の工面からアパートの保証人にまでなってくれた。
彼女は、とにかく私の憧れの的で、私は彼女からいろんなことを盗んだ。
私のなかには彼女から得たものが、いまだたくさん息づいているはず。

彼女はエキゾチック系な美人で、とにかくホントかっこよかった。
カウンターメインの若い人向けのクラブとラフな感じのホストクラブの2店舗を経営していた。

彼女とはじめてあったのは、彼女が経営する店のとなりの、私が仕事帰りにたまに訪れるカウンターバーでだった。
「かのじょぉ。かっこいいじゃんwウチこない???とりあえずウチきてのも♪」
あまりにもストレートなスカウトだった。
私は彼女がどこのだれだか知っていた。街では有名だったしね。
正直・・・評判はあまりいいものではなかった。
でもこれは単なる噂に過ぎなかったって・・・すぐにわかった。

私はその頃、昼間はホテルカウンター業務、夜はちいさなクラブで働いていた。
とある訴訟を起こすための資金が欲しかった。
・・・これはあとでひどい挫折となるのであるが。
とにかく寝る間もなく働き、そしてあそんでいた。
あそぶのにはお金はかからなかった。そして仕事にも結びつく大事な時間だった。

そのころいた店のママにもおおきな恩義があり・・・私は相当悩んだが・・・店をかわった。
彼女自身と彼女の作った店に、とても魅かれたからだった。
内装、食器、グラス、インテリア、花・・・店のいたるところ細部までこだわりがあり、
彼女のセンスのよさもさることながら、彼女の店に対する情熱みたいのを強く感じたからだ。

彼女のセンスに少しでも近付きたくて、おしゃれにもますます力がはいった。
服もメイクもヘアスタイルも、すこしだって手を抜かなかった。
しばらくして「ほんとおしゃれだねぇ。あんたには負けるわw」とママが言ってくれたとき・・・あのうれしさは今でも覚えている。

お神輿の楽しさを教えてくれたのも彼女。
おんなのかっこよさと強さを教えてくれたのも彼女。
そして恋愛とかについてもね。
彼女はかっこよかったが、おとこにはメロメロだった。
その底なしのかわいらしさがいつもの彼女とかけはなれてて・・・そこがまた素敵だと思った。
私はそこだけは真似できなかった。
いや・・・したかったのに・・・どうしても・・・できなかった。
これができてたら・・・今の私・・・きっと違うとこにいるだろうな。

なんてね・・・ちょっと昔話でした。。。
| 回想の記録(むかしばなし) | 00:36 | - | trackbacks(0) |
最期の約束
これまだ書いてなかったよなぁ。。。

先程、友からのメールを読んで・・・
ちと思い出してました。

私の父の最期の最期をね。



亡くなる前の日、真昼間に母から電話がかかってきて・・・

その頃の母親は、父の介護でほとんどノイローゼ状態で
私は、仕事中でも、家に帰っても
何度も何度も同じことを繰り返される母親の話に
かなりうんざりしていた。

車の中でいくども長く鳴り響く携帯。。。

3〜4回目くらいかな・・・しかたなくでたのは。

「お父さんが息してないの。心臓も動いてない。。。
 おねえちゃんどうしよう。。。」

「は???」

父は、その年の早春に、職場で脳内出血で倒れ
一時は意識不明とはなったものの
医者に言わせれば、奇跡的な回復をして、自宅療養中だった。

定期健診もしっかり受け、命にかかわるようなことはなにもなく
ちょっとした異変でも細かく対処していただいていた。

その日もふつうに母と歩いて買い物へいき、昼食をとり・・・
その直後の出来事だった。

「わたしになんか電話かけないで、まず救急車呼んで!!!」

「あ・・・今かけた。なのにまだ来ないの。」

「そりゃそうやろ。。。目の前に消防署ないし。。。
 とにかく落ち着いて。」

まぁこんなやりとりをしているうちに救急車が到着し
私もいきつけであった搬送先の病院へかけこんだ。

父はICUに入って蘇生を受けている真っ最中だった。

そして、医師とのやりとり・・・それは延命治療についてだった。
父は、延命治療だけは受けたくない
とのはっきりした意思表示を。何度も家族に訴え続けていた。
なのでこの点は、私たち家族もすでに心に決めていた。

心停止から30分後、自発呼吸はなかったが、父の心臓は動き出した。

はたしてこのままいつまで生きてくれるのだろう。。。
父は医師がいうところの「奇跡」を何度も克服した人だった。
今回ももしかしたら奇跡的に回復するのかもしれない。
心のどこかでそう思っていたような気がする。

気がつけばもう外は真っ暗・・・夜中になっていた。
とりあえず母は泊り込み、私は朝から交代しようと家へ帰った。
弟は夜勤で出かけており、父が倒れたこともまだ知らされていなかった。

朝になり病室を訪れた私が見た光景は
やや冷たくなってきていた父の足を
冷たい病院の床にひざまずいてさする母親の姿だった。

「お父さんの足、冷たいのよ。
 こうやったら少しはあったかくなるかと思ってね。。。」

そう言っては足や手を懸命にさすり続けていた。

父はやはり奇跡的に自発呼吸をしはじめて、人工呼吸器ははずされていた。

私は父親のところへいき「お父さん、来たよ」ただ一言だった。

私は家であまり話をしない。これは幼い頃からずっと。
特に父親とはほとんど会話がなかった。

私のその一言を聞いた父は左の目から涙をこぼした。

「あ・・・お父さん聞こえてるんだ。。。」

ふとそう思った。

心音はどんどん下がっていき、人工呼吸器はまたつけられた。

医師からは

「・・・そろそろなので会わせたい方がいらしたら呼んでください」

と告げられた。

家にあった書置きを読んだ弟が病室へ来た。

弟は何度も何度も職をかえ、今回の仕事場も行きだしたばかりだった。
父が職場で倒れた頃は所在不明で、ちょっと前に家に帰ってきたばかり
父の病状もほとんどわかっていなかったし
別にあっちから聞くこともなかった。
ほかに行くところもなくてしかたなく家にいるような状態であった。

「K・・・お父さんが息がある間にちゃんと約束して・・・
 これからはちゃんとするって。。。」と私。

弟はふてくされたような態度で

「あぁ。。。」



・・・病室に流れる重苦しい空気。。。

人工呼吸器の機械的な音と父の苦しそうな息づかいだけが聞こえた。



あまりにも苦しそうな父の息づかい。
延命治療だけはしてくれるな。。。
そう何度も言っていた父。



わたしの口をついてでてきた言葉は

「お父さんもういいよ。みんなそろったし。もういいよ。。。」

「お父さん。お疲れさま。ゆっくりやすんでね」と涙ぐむ母。

まだふてくされたような表情でそっぽを向いたままの弟。

ほどなくパタパタと小走りで近付いてくる複数の足音。



・・・父の心臓は完全に停止した。



私たちの声は、きっと父に聞こえていたのであろう。
そう信じたかった。

弟が来るのを待ち、約束をし・・・
安心して旅立ったのだと、そう信じたかった。



弟とはもう数年来会っていない。
今も所在不明である。

私が弟に最後に会ったのは
拘置所の面会室のあの穴の開いたプラスチック越しである。

医学的にいうと意識がない父が
そこまでしたあの約束を守っているのか。。。
私たち家族は、今はまだ知らない。





       友達の親族様へ

   最後となり大変失礼では御座いますが

   謹んでご冥福をお祈りいたします。

   どうぞやすらかにお眠りくださいませ。

| 回想の記録(むかしばなし) | 04:19 | - | - |